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●初めての直訴
荒川区役所は、外国人に町屋日本語教室を勝手に紹介する。教師不足でヒーコラ言っているさなか、そんなことが重なり、アッタマにきて、「生徒さんであふれている教室を見に来てくれ」と区役所にクレームのメールを出した(6月6日)。
そして、町屋日本語教室史上、初めて区職員が見学にきたのは、教室18年目の2008年7月6日であった。
教室(区の施設)はごらんのとおり狭い。先着順の部屋の予約も、楽じゃない。とにかく「お上」に「土地をくだせぇ」と直訴する機会だけはもてた。
もう夏休みも終わり、9月のクラスが始まったが、その後、お上からの音沙汰はない。
●旅での初めて
7月恒例の一泊旅行は、仙台・松島へ行った。
地元のボランティアガイドさんは、76才の元気なK氏。ご自身が外国で親切にしてもらった経験から、私たち一行を大変にもてなしてくださった。
仙台駅では駅長・助役が出迎え、JRからおみやげ(電車バッジ、鉛筆、時刻表など)、仙台市からもおみやげ(マップ、ティシュ、クッキーなど)、大崎八幡宮からも絵はがきセット。ただで、こんなにもらったのは「初めて」。
旅行には、卒業生も加わる。フィリピン女性は勉強にはこないが、イベントは大好き。宴会は彼女たちの独壇場。歌とダンスのあまりのうまさに、皆びっくり。宴会で「初めて」、彼女たちは尊敬のまなざしをあびる。
●もっと「初めて」
参加者40人+赤ちゃん2人は、これまでの最多人数。
実は38人で打ち止めのはずだったが、申し込みの最終日、飛び込みの中国人カップルが教室にやってきた。教室のホームページを見て、旅行に参加したいと言う。
私、勉強を続けてきた人たちのための旅行なのにぃズーズーしいっ!と心の中。しかし、排他的と思われてはマズイ…
「この2人は旅行に参加したいって言っていますが、皆さん、どう思いますか?」
なんと、即「いっしょに行きましょう!」と中国人生徒。
私、「あなたたちは勉強したくて来たのか、旅行に行きたいだけなのか」と、つい嫌み。「勉強も旅行も、両方です!」
かくして、旅行が終わってから、その2人は一度も教室に来ていない。これも、初めてのできごと。
●信州へ一泊旅行
7月16・17日、総勢28人で信州・上山田温泉へ一泊旅行に出かけた。これまでは、旅程、交通手段、旅館、食事にいたるすべてを自分たちで手配していたが、たまたま旅行会社に問い合わせてみたところ、その全部を代行してくれ、かつ「安い」ことが判明した。
資本の力には勝てない。いままで世話になったマイクロバスの会社には後ろめたさを感じつつ、ここはゲンキンに…ガイドさん付き大型サロンバスのほうに乗った。
今回の呼びものは温泉郷のお祭り。みこしや盆踊りは東京でも目にするが、実際に輪に加わって踊ったのは初めてと、生徒さんたちにはいちばんの思い出になったようだ。
●同じ釜のめし
旅行中「同じ釜のめし」を食っていっしょに過ごすと、生徒さんとの親密度が増す。
滞日20年のT国のDさん、いま日本国籍に帰化申請中。旅館の部屋でくつろいでいたとき、「先生、Jさん覚えてる?」と聞く。
JさんはI国の男性で、2〜3年前、日本語能力試験1級にパスした優秀な生徒さんだった。最近、姿が見えないなと思っていたら、Jさんは自転車に乗って携帯電話をしているところを警官に呼び止められ、オーバスティが発覚。I国に強制送還されたとのこと。
で、Dさんとは結婚の約束をしているのだそうだ。国の違うDさんとJさんがいっしょに暮らせる土地は、日本。ことばも日本語。2人の将来のためには、自分が帰化してJさんを日本に呼び寄せるしかないと、Dさんは奔走中だ。
●文化の違いか個人のキャラか
旅館での部屋割りは、4〜5人が一つの和室で布団を並べて寝るのが常。1人だけ、どうしても個室がいいと言い張る生徒さんがいた。みな、「縁側に寝ろ」とか「押し入れはどうだ」とか、なだめたりすかしたりしたが、納得しないようす。
ベランダに出て、宗教上の理由かと話を聞いてみると、「これは自分のホリディだから、個室で女性と楽しみたい」と、あっけらかんと言う。即「ノー!」。
結局、本人は酔いつぶれて、誰よりも先に寝てしまったので、思惑どおりには事は進まなかった……。男女のセックスは個人の自由であろうが、教室の旅行の目的に、それは入っていない。スタッフにとって、長年の旅行のなかでは初めての経験だった。
しかし、旅行で「今日は自由に個室で男性と楽しみたい」と女性が要求することって、ないよね。してみると、これは、男性にはこういう発言が許されてきたという、男性ならではの万国共通の発言だったのかも。
アジアの女たちの会・立ち寄りサポートセンター「町屋日本語教室」
●四大陸の花見の宴
今年の桜は遅かった。4月最初の日曜日、飛鳥山公園に桜は咲いていなかった。固いつぼみの下で、ま、日本の慣習のお勉強、シートを広げて酒宴をもよおした。
次の日曜日に桜は満開。ま、お墓の見学を兼ねて、谷中墓地でまた花見をした。
東・東南アジアの生徒さんのほか、南米チリ人、歌うセネガル人も加わった。これで、あとオーストラリアからの生徒さんがいれば、世界五大陸からの参加になるのだが…
ところで、オリンピック五輪のマークが表す五大陸って、どこ? おおざっぱに、アジア・アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・オーストラリアと記憶していたが、いまの小学生は、ユーラシア大陸・北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・アフリカ大陸・オーストラリア大陸、で、南極大陸を入れて、六大陸と習うらしい。
町屋日本語教室にオーストラリアと南極からの参加は、まだない。
●反日感情
桜吹雪のなか、しゃべったり歌ったりした花見だったが、夜中まで飲み続けたのは、韓国人と日本人。暗闇の墓の前で竹島問題を語り合った。
「先生」を前にていねいに言葉を選びながら、「日本人はどう思うか」と問う「生徒」。互いに行き着くところは、島の領有権よりも、日本人の歴史観の問題だった。
「竹島の日」「教科書問題」「靖国参拝」など、その歴史的背景について、韓国の人たちは実によく知っている。それに比べて、私たち日本人は知識としても少なすぎ、知らなさすぎるのだった。
中国人生徒は、ここのところ教室への出席率が悪い。本国の反日デモに連帯したか?と、笑ってごまかす私たち。
連休明けの教室では、ニュースになっている「反日感情」、韓国・中国との外交問題について、いっしょに勉強しようということにした。
●新しい生徒さん
チリとセネガルからの生徒さんは日本人女性と結婚した人たち。どちらも、お国に派遣された青年海外協力隊の日本人女性とめぐりあった。
配偶者の女性たちは愛情でも経済でも彼らをやさしくサポート。しかし、日本社会はどうだろう。アパートを借りるのもたいへん、彼らの仕事を探すのはもっとたいへん、家族・親戚の受け入れもさまざま・・・これから、より厳しい現実が待っているかもしれない。
私たちが手伝えること、日本語学習のサポート、教室に来る彼らの気持ちをやわらげてあげること、問題をそらさないでつきあうこと、くらいかな。まずは、それが第一歩だと思っている。
アジアの女たちの会・立ち寄りサポートセンター「町屋日本語教室」
●教室1年のイベント納め
クリスマスパーティに、地元のダンススタジオを借りた。やっぱり手作りの各国料理を披露しながら、遊べるのがいい。でも、ちょっと駅から遠い。みんな、地図がわかるかな? 集まりが遅いのはいつものこと。そろそろにぎわってきたな……
だれかに目隠しされる。3年ぶりのJさんだ。あれはお腹が大きかったBさん?あの赤ちゃんが、この小学生?パーティの進行係は中学生(勉強中のお母さんの横でヨチヨチ遊んでたのよ、この子たち……)。
何年たっても、ひょっこり顔を出してくれる。私たちって忘れられていなかったんだって、ジーン…… そしてゲームで盛り上がり、賞品をかっさらって「また来年!」
●忘年会・新年会の個人的な話
3年前に来日した韓国のエリート青年。「差別を感じたことはない」と日ごろ言っていたが、ついに暮れの飲み会で「『ばかチョン・カメラ』だなんて、なんでそこまで差別されなければいけないんですか」と口にした。厳しい現実がやはり、見つかってしまった。
東京出身Aさん、いま雪のN県に出稼ぎ中。土地の日本語教室に参加しているのだが、そこのボスは地元豪家の出身で、よそ者ボランティアを排除したがるらしい。正月、グチってった。
「排除される」ってつらいよね。拒まない、責めない、観音様のような心境でガンバレ!
●2005年の旗びらき
アッと言う間に年が明け、2月から教室再開。今年勉強したいことを生徒さんたちに語ってもらった。
フィリピン女性、仕事で領収証を切るとき、言われた宛名の字が書けなかったりするので、漢字をあらためて勉強したい。韓国女性、パソコンで漢字変換はできるけど、書けない。日本人と同じように読み書きがしたい。中国女性、日本人みたいに話したいから、まちがった話し方は、その場で厳しく直してほしい、などなど……
これまでは、言葉をコミュニケーションの手段として、細かなまちがいまで指摘してこなかった。人前で指摘されたら、プライドも傷つくだろう。「日本人みたいに」も、こちらが言わせているようでドギマギしていた。
でもいまは、なぜだかわからないけれど、生徒さんからの要望ならば、それに応えてあげたいと、思うようになった。町屋日本語教室、ようやく15年目。いろんな生徒さんと時代の流れに導かれ、人とのつきあいにも日本語学習にも開眼の年となるのだった。
アジアの女たちの会・立ち寄りサポートセンター「町屋日本語教室」
●日本語教室の始祖
いまから14年前の、とある日曜日の教会。フィリピン女性がシスターに日本語を勉強できるところはないかと尋ねたことから、町屋日本語教室は始まった。
そのシスターこそ、なにを隠そう、フェミニズム英語の教師「シスター小林」なのである。
1991年1月20日、シスター小林の6畳間に5〜6人が集まった。教わるほうも教えるほうも、語学教育に関してはド素人だった。教師歴の長いシスターは、きっと「なにアホなこと教えてんねん!」と腹の中で思っていたかもしれないが、いつもニコニコ観ていた。
●遊びも勉強
10年ほど前の遠足は東京湾の公園だった。天気予報は「雨」だったが、当日晴れた。シスター小林はまじめな顔で、言った。「奇跡です」。そのおまじないのような言葉のおかげか、その後の旅行で雨にあたって困ったことはない。
今年は10月の第5日曜日、クラス休みの日にちょっとした遠足「隅田川・下町さんぽ」をした。朝から雨。でも、浅草に着いたときには雨はあがっていた。やっぱ「奇跡です」。
この日、下町を歩きまくった。かっぱ橋・浅草から両国まで歩き、横網公園(関東大震災の慰霊堂)や江戸東京博物館を見学したあと、月島へ。高層マンションに囲まれた佃島、もんじゃストリート裏道の古い家々を見ながら、勝どき・トリトンスクエアと、古きから新しき東京へたどった。
帰路は、日の出桟橋から船で隅田川のぼり。ライトアップされた橋を見て、おあとはビール。
●苦労も必要
今朝、永住許可申請をしてきたスリランカ女性の話。もうパーマネントビザがもらえると、多数の書類を完璧なまでに用意して一人で入管に行った。が、永住許可の審査は長期間かかるらしい。その「審査」の間にいまのビザが切れるから、3年用と永住用の申請を同時に出せということになった。
窓口は親切にもう1セット、申請書類をくれた。書き込んだ日本語は実は私が代筆したものだった…彼女はひらがなも十分に書けない。
しかし、勉学には苦労がつきもの! 観念したらしい。見たとおりの形のカナ・漢字を必死こいて写したということだった。申請がうまく通りますように。
アジアの女たちの会・立ち寄りサポートセンター「町屋日本語教室」