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●またもや締め切りやぶり
また督促の電話をもらった。うぅ~、何をか書かん。前の年の3月って何を書いたっけ…。
去年は3.11大地震。直後の教室でアンケートをとったんだった。それから、あれよあれよの帰国ラッシュ。原発事故のせいで、たくさんの生徒さんが国に帰ったな~。
2010年は『生活漢字306』が品切れで、改訂作業が遅々として進まないことを書いていた。いまだ未刊。なさけないな~。
2008年は、DVで駆け込んできた人のことか。彼女もいまは離婚・親権を勝ち取り、生活保護を受けながらも仕事を始めた。2才だった子はこの4月小学生に。あんなにかわいかったのに、にくたらしくなっちゃって~。
…なんて、思い出にひたっているうちに、また1日が過ぎてしまった。
●クリスマスパーティ、何をか思わん
2011年は生徒さんが減ったので、初心に帰って20年前に教室に使っていた小さな施設を借りた。たくさんの各国料理、プレゼント、ゲームに景品。せまい部屋のせいか、盛況感いっぱい。
そして、久しぶりの生徒さんたち。子どもを見せに連れて来てくれたりすると、ほんとうにうれしい。
以前は、フィリピンなど東南アジアはもちろん、韓国の人たちともよく交流(飲み)した。
でも、同じ東アジアでも中国の人たちはそうではなかった。勉強中でも興味がないと、人の話を聞かない。教室のあと飲みにさそっても、つきあってくれたことはなかった。
去年、岩手の被災地に炊き出し旅行に行ったときの中国人参加者は、たったの4人(いつもの旅行の1/4)。ふ~ん、こんなもんかぁ…と思ったもんだ。
でも、いまは大国中国の人数も減って、顔ぶれが定着したせいか、いや、放射能汚染の国で暮らさなければならない親近感からか、イベントに参加する中国人が増えた。
二次会終盤でも中国人帰らない…。たくさん飲んで話したし、笑ったし、片づけも手伝ってくれたし、やればできるじゃ~ん。
●生徒さんの善行
去年の夏に亡くなった生徒さん(中国女性)の夫(中国男性)が教室に来るようになった。もう勉強「しなくていいよ」というくらい、日本語はほぼ完璧。
気をつかってお菓子は持ってきてくれるし、この前は、ボランティア学生をさそって飲みに行き、おごってくれたらしい。
妻が生きていた軌跡をたどろうとしているのか、人寂しいのか、気前がいいのか…
夫婦で走ろうと約束していた東京マラソンにも参加したとのこと。「前を向いてがんばります」とメールにあったが、どうか、がんばりすぎませんように。
それにしても、ボランティアが生徒さんにおごってもらうなんて前代未聞(私の知るかぎり)のことであった。でも、考えてみれば、ボランティアのほうが生徒さんよりお金もってないのよねぇ…
●「父」になった生徒さんからのメール
【父】「私の名前は“治国”で、“チコク”で呼ばれていますが、“遅刻”と同じ、なんとなく、いいイメージではない。…
赤ちゃんはこれから、日本で生活して、保育園に日本人の子どもと友だちをつくります。できれば、いいイメージをあげられる、女の子らしい読み方を使いたいです」。
●その子の名は「梓瀛」ちゃん
【父】「中国語名前にも、発音は一番大事のことで、“梓瀛”は発音と漢字意味、両方考えて作りました。中国語の発音に聞いたら、少し女らしいです」。
その「父」の話では、「瀛」は「海」を表し、日本の雅称だとも。
●ちょっと脱線
ガショー? ひそかに辞書をひもとくと…日本の雅称っていっぱい! 「大和」「扶桑」「瑞穂」「蓬莱」…
で、「瀛州」は、古代中国において、仙人が住むという東方の三神山の一つで、転じて、日本を指すのじゃそうな。「父」はエライ!
●赤ちゃんの「名づけ」騒動
【ボラA】「日本語の音読みなら“シエイ”ちゃんが自然だよね」。
【父】「日本人名前の読み方と漢字は全然違うことがあることを聞きましたから、本来の呼び方でよくなければ、変換すればどうですか。たとえば、“あずさ”ちゃんとか…」
(「父」は“シエイ”が気に入らない)
【ボラB】「子どものことを想い、日本で困らないようにしてあげたいという気持ちはよくわかる。ただ、名前は固有のものだから、中国語の発音でいいのでは?
日本に帰化する手続きで漢字名の日本語読みを強制していた時代があったり、外国籍の妻に日本名を名乗らせたりということが頭をよぎる」。
とりあえず、“読み方”候補をまとめると、
1. 中国語の発音:「ズーイン」「ジーイン」
2. 音読み:「シエイ」「シンヨウ」
3. 訓読み(1文字から):「あずさ」
4. 訓読み(2文字あわせて):「あずみ」
●これって日本ならでは?
【ボラC】「うちの大学も中国人留学生が多いのよ。で、中国人の先生が漢語読みで“姜玉星”→“ジャン・ユーシン”のように読み方をつけて学生証に表記していた。
ところが、当の学生たちから異論が出て…
『日本人のへんな発音で呼ばれるなら、日本語読みのほうがいい』。
『漢語音を日本人が読むと、“ボーヨー”なんてへんな音だから、“ハクヨウ”と日本語読みしてほしい』。
『日本語読みにすると“アホウ”になっちゃうから、漢語読みの“アファン”がいい』。
『私は朝鮮族だから、漢語読みではなく、日本語読みのほうがいい。でも韓国人じゃないから、ハングル読みはいや』。
などなど。で、結局は自己申告の読み方というルールになった」。
【ボラD】「私も、中国へ行って、“山田”を中国語発音されるより、“YAMADA”にあたる中国語の漢字で表記して“YAMADA”と発音されるほうがいい。
もしこれが日本でなく、イギリスや他の国だったら、こんなに悩まないよね?」
●「父」まとめる
その後、「父」からは、「原語の音に近づけて“シーイン”、ニックネームなら“あずさ”にする」と返事がきた。
【父】「妻と娘、今は中国でいます。来年、“あずさ”ちゃんを連れて、皆様に会いましょう!」
冠婚葬祭が凝縮した夏でした…
●スタッフの結婚
6月25日、教室スタッフたちと台湾の結婚式に参列。めでたいことなら、どこでも行っちゃう。
新婦は教室スタッフだった日本人女性(牧師・45才)。数年前から台北の日本語族の教会へ赴任。新郎の台湾人男性(画家・49才)とは、つきあい始めて2日目に結婚を決めたという。
牧師として自立し、高年齢の信徒さんたちの人生の機微に通じ、なお40代も半ばを過ぎると、結婚なぞしないんじゃないかと思っていた。
いろんな出会いがあるもんだー。教室にかかわる人々のおかげで、人生、倍楽しめるわー。
●自殺という結末
中国人生徒さんの夫から電話があった。「7月8日、妻がうつ病で自殺しました」… 聡明でがんばり屋さんの笑顔の美しい女性だった。
3年前、夫の転勤とともに来日。1年後には自分も就職して、まじめに働いていた。忙しくなってからは教室にあまり来なかったが、よくメールで正しい日本語を聞いてきたっけ。
この3月の大震災の余波で、会社は事業縮小。大幅な人員カットがあったが、彼女は残され、ほかの部署へ。自分はクビにならなかったという贖罪の念と、慣れない職場環境で5月に退社。その後は家で泣いてばかりいたらしい。
5月、教室にひょっこり来てくれたが、気がつかないうちに帰ってしまったっけ。あぁ、仕事やめたときだったんだな、なんか言いたかったのかもしれないな…
おしきせの斎場で仏教式の葬儀だった。異国で亡くなった人を送ってあげる場として、これでいいのだろうか。はにかむようにほほえむ遺影を見て、なんとも心が痛んだ。
●「ことし」しかできない旅行
7月18・19日、恒例の一泊旅行。ことしのプランは、世界遺産に登録された平泉観光と、陸前高田市の仮設住宅でのランチ炊き出し。
メニューは、フィリピン・アドボ、スリランカ・カレー、ベトナム・フォー、タイ・サークー、中国・チンゲン菜炒め+茶の5か国料理をワンセットに。家庭科室で調理し、となりの教室を食堂にして、被災者の方々に食べに来ていただいた。
事前に、仮設にはお年寄りしかいないから外に食べに出ないとか、イベントに20人も集まらなかったとか聞いていたので、量は少なめに100食分にしぼり、仮設を1軒ずつ訪ねてチラシも配った。
そしたらですね…、12時開店前から行列ができ、1時間もしないうちに100食はけてしまった…。あとは、肉のないカレーとタイのデザートでしのいでもらうことに。(おおよそ150人が来てくれたと思う)
申し訳なかった… 津波にのまれた陸前高田の惨状を目の当たりにして、お金さえあればまた炊き出しをしに来たいと思った。
さて、旅行日の直前、平泉は放射線汚染のホットスポットということが発覚したのだが、参加者には、ないしょにした。すまん、数時間だけ、浴びてくれ~
●シスこば帰天
夏休みになると、スタッフ・生徒は「シスこば祭り」と称して、教室の始祖・シスター小林んちを訪ねるナラワシ。
7月22日、シスこばが入院中のため、ことしの「シスこば祭り」は延期との知らせが入った。7月はじめにインフルエンザにかかって体力が落ち、食事がとれないので入院して点滴を打っているとのこと。
数日後、28日未明に亡くなったという訃報。お見舞いに行こうか様子をみていた矢先のあっという間のできごとだった…
去年の11月、90才の誕生会で「また来年」と、お茶目だったシスター。棺の中のシスこばは、神に召される清らかな乙女のようだった。
シスター、長い間ありがとうございました! そして、お疲れさま。ゆっくり休んでください。
●日本脱出
大地震から2日目の教室の参加者は15人.よく来たねー,だいじょうぶだった? 興奮さめやらず,地震の話で盛り上がったもんだ.
つぎの日曜日は,10人を切ったかな.ぐっと減った.3~4月はこんな調子で,10人前後.教えるほうは,楽だった.
たくさんの生徒さんが国に帰った.一時帰国も,ほんとうに日本を去った人も.なぜ?って,もちろん原発事故のせいです.
●母の一喝
国の家族から強烈に帰国をうながされた人たちが多かった.とくに「母親」から.
「お母さん」「マーマ」「オモニ」「アンマー」「メァ」「マミー」,世界の母は強い!
「1週間でも2週間でも,仕事を休んで帰って来なさい!」
なだめたりすかしたり,わが子が帰るまで説得しつづけ,しまいには,半狂乱になっていかりまくる…電話の向こうの母はほとんどがそんな感じだった.
●放射能汚染のゆくえ
最初は,パニックみたいな帰国ラッシュを見て,国の家族はFUKUSHIMAとTOKYOの地理関係がわからないんだろう,仕事も長く休めるはずはないし,どうせ日本に帰ってくるのに,お金をかけて,大騒ぎなことよ…と思っていた.
しかし,5~6月になっても終息の見えない原発事故.汚染はどんどん広がっている.
いまは,あの人たちは大正解!だったと思う.
●日本で暮らす
それでも最近,生徒さんの数が戻ってきた.
一家そろって一時帰国していた中学2年生の女の子も,2か月たって中国から戻ってきた.
日本って,ロボットとか科学技術とか最先端を行っていると思っていたのに,まだ事故は終わっていないんですか…
彼女のお父さんは中華料理店を辞めて帰国を選んだので,日本に戻ってから仕事がない.ただいま就活中.
●なにができるか
5月連休,フィリピンの生徒さんから電話をもらった.東北の被災地でボランティアをしたいが,一人ではよくわからなくて参加できない.
話が進んで,それならば,ことしは教室の一泊旅行で,みんなで行ってみようかということになった.
いつもだったら,名所を訪ね,温泉に泊まり,団体旅行を楽しむのだが,今年は被災地での手伝いをしてはどうか.
教室でそういう話をしたら,みな「とてもいいことだ!」と賛成の拍手.はたして,どれくらいの参加者があるのか,未定.
そして,福島には行きたくないという多数意見… 行き先もまだ未定.
「さとうさま~ もう11日です!」本誌原稿の督促メールは2011年3月11日14時43分16秒に届いた。
「ん、まだ2~3日いけるな」と、督促は無視することに決めた数分後、揺れが来た。東京は震度5強、久々の大揺れでした。
●地震アンケート
2日後の日曜日の教室は、さすがに参加者が少なかった。生徒・ボランティアあわせて14人(中国・韓国・ベトナム・スリランカ・日本)。以下、地震の日のアンケートより抜粋。
○そのとき、あなたは?
「机の下に隠しました」「机の下で、こわい、こわいって言ってた」《おおかたは机の下にもぐっていた》
「びっくりした! みんながゆれた」「必死に本棚を押さえた」「逃げ道のためにドアや窓をあけた」「ほかの人たちはすぐビルの下に走りました、私も逃げました」「すこしじしんのことみて、あとでそとににげました」
「道を走りました」《どこ行っちゃったの?》
○どんなこと考えた?
「怖い… とにかく怖い」「死ぬかもしれない」「まさか死ぬかなと思いました」「こりゃ大変なことになった・こりゃ大変なことになった」「自分自身の無事をたもてたらいいと思った」
「あぁ死ぬ時とは意外と何も考えられないものだなと思いました」《けっこう冷静》
「ふつうのじしんだ、こわくない、とおもいました」「必ず助かる、助ける、大丈夫と祈りました」《これも冷静》
「日本の建物の頑丈を感心しました」《これがいちばん冷静かな》
「日本人のとおりにします」《あら…》
○役に立ったものは?
携帯TV、Twitter、Facebook、インターネット電話、駅前のTV放映
アイホンやスマートフォンの地図《職場から徒歩で帰宅した人たち》
○日本政府に求めるものは?
「被災地救助、迅速な対応」「インフラとライフラインの早急な整備」「地震でもうけようとする悪徳業者のとりしまり」《まともな回答だ》
「外国人のために外国語で最新の情報を報道すればうれしい」《だね!》
「じしんまたこないようにして」《できればね》
「住民税につきまして、もっと少なくしてもらえませんか」《…》
●生徒さんのアイデア
「地震のときは、交通機関が自由的に(無料で)利用できてほしい」←これ、いちばん賛同を得ましたね。職場に泊まった翌朝、まだ電車が動いていなくて、タクシーやいつもとは別ルートで帰った人が多かったので。
「沿岸、10米より高い鉄筋コンクリートの壁を造ったほうがいいだと思います」←万里の長城の自慢。
●その後
福島原発の事故で東京にも放射線が? 避難のための帰国モードが高まっている。
品川の入管は長蛇の列。再入国許可をもらいに朝9時に行ったら、もらえるのは夜の9時だとか。「チケットがとれない、どーすればいい?」
そんな電話がくるけれど、答えようがない。本誌が発行されたころはどーなっているのだろう…